行列が出来る食べもん屋の記事が最近とみに目につきます。

本当に美味しい食べもんってどんなん?って考えあぐねてます。

マスコミの取材が入る度に行列が長くなって 終いには2時間が6時間待ちになった店もあるらしい。

それを聞いて自分を含めて大阪人は時間が勿体無いから絶対に並ばへんなぁ、何で時間をもっと有効に使わへんのん? 6時間待ちの価値ある食べもんって世の中にあるん?と摩訶不思議で色々思いを巡らせたけど、そんなんは絵空事で現実には無いと結論した。

一体全体全ての人の口に合って全員が旨いと思う食べもんなんて果たしてこの世の中に存在するんだろうか? 仮にあるとすれば全員に共通で最大公約数的な味やから薄っぺらい味ではないん?また科学的に旨味成分とされるグルタミン酸さえ多く含まれていれば客観的に美味しいのだと断言するTV番組があったけど果たして本当か?いやいや騙されへんぞ!人が食べもんを美味しいと思う要因はそんなに単純なもんでは無いと言う気がする。

本人の年令、幼少時の刷り込み(お袋の味、生まれ育った時の食べもん事情等々)、本人の健康状態・精神状態、同伴する相手との相性や関係性、場所の雰囲気・ステイタス、食器自体、食材同士の相性、料理の盛り付け(視覚的・嗅覚的好き嫌い)、料理と盛り付けされた食器との色彩バランス・温度差、匂い、食感(噛み応え・口の中での溶け具合・温度感覚)、皿毎の味と他の皿の味との連携度・相性、お酒との相性、酔い加減等々(言い出したらきりがない)が微妙に絡み合ってハーモニーを醸し出して味と言うものを最終的に形作って行くと思う。

個人的には歯応えの有るもんが好きやから今世の中で取り沙汰されてる熟成された食材は苦手で、むしろ取れたての旨味成分の少ない歯応えのあるのが好き。個人的には京の仕舞屋の純和風の続き間で坪庭を見ながら相性の合う人とマッタリと日本酒を嗜みながら京懐石に舌鼓を打つのが最高に美味しく楽しい究極のひと時だと思う。

先ずは何はともあれ、美味しく食べもんを頂く為の最低限の条件は精神的・肉体的健全さを最適に維持するに尽きるのではないかと思いますが如何でしょうか?